「事故死」や「デスノート」と、何やら危険なにおいがしますが。
天沢聖司くんといえば、「俺と結婚してくれないか」と雫に直球勝負で大胆告白した男の子ですね。
クラスメイトからは取っ付きにくい印象があるようですが、イケメンで勉強もできるという女子人気の高そうなタイプです。
しかも、中学生にしてバイオリン職人になるというはっきりした夢も掲げ、目標に向かいブレずに努力する一途さがあります。
雫以外も、たくさんファンがいそうですよね。
そんな彼には、危険な噂が色々とあるようなのです。
天沢くんのその後も含めて、深掘りしてみました。
天沢聖司の事故死の噂の真相は?
みなさんは、コラ画像とかMADムービーという言葉をご存知でしょうか。
実は、天沢くんの事故死するという衝撃の噂はそれに関連しているようなのです。
コラ画像とはコラージュ画像のことで、本来の画像をもとに作り替えたいわゆるフェイクの画像ということです。
MADムービーも、元の映像を合成・編集して再構成したものです。
最近の発達したパソコン技術によって、個人でも画像や映像を修正加工できるようになりました。
ですから、こういった画像や映像編集でジョークや皮肉を表現できるような時代になりました。
でも、これは元の画像や映像を知っていれば通じるギャグだという前提条件があります。
元を知らないのに、フェイクものを見たら当然それが事実だと勘違いしてしまいますよね。
つまり天沢くんの事故死というのは、コラ画像やMADムービーから生まれてきた噂だったのです。
実際大変よくできていて、曖昧な記憶の中でこのコラ画像などをみると、雫が手にしていたノートってこんな色だったかもとか思えてきちゃうんですよね。
しかも、薄っすらぼやけた字でデスノートと書いてあるところなんかが、余計にホンモノっぽく感じちゃいます。
その上で、ノートに雫が何やら書いていて手元をアップしてみると、「天沢聖司 事故死」と衝撃のワードが綴られているのです。
さすがにこんなシーンはなかったと理解できますが、ドキッとさせられるのは間違いないです。
ゆえに、色々な想像も駆け巡ってしまうのですが。
もとをただせばそういった想像が、この噂の追い風となったのかもしれません。
天沢聖司の本当のその後はどうなるの?
こんな噂やフェイクが出てくるのも、天沢くんと雫のその後が描かれておらず想像するしかないというのも一つの要因かもしれません。
とはいえ、事故死とは話の意図が変わってしまうので、フェイクの中だけの世界感ですが。
本編の世界では、やっぱりハッピーエンドであって欲しいものです。
紆余曲折あっても、二人とも夢を叶えて結婚までたどり着くというのが理想だなと。
でも、そうならないという説の方が俄然多いようです。
というのも、雫と天沢くんはまだ中学生で、長い人生の始まりのところです。
変化の多いこの時期を越えてもずっと変わらない気持ちでいるというのは、現実的には難しいと捉えることが多いからなんです。
それに、あの時の天沢くんのプロポーズは、現実的な結婚というよりも雫への想いを最大限に表現した言葉だったともいえるからです。
つまり、夢を追いかける同志でもある雫には、「好き」だけではなく共に頑張ろうというような意味も含まれていると取れるのです。
つまり、中学生という素敵な青春時代を、同じ方向を向いて進みたい人ではあるのは間違いない。
けれども、大人になっても好きな気持ちが変わらないという保証ではないということですね。
その裏付けとして、雫が書いたとしている「猫の恩返し」は、雫の体験したことや気持ちが多く反映されています。
その中で注目したいのが、猫の探偵バロンと主人公ハルの関係です。
この結末が、ひょっとして天沢くんと雫の関係のその後ではとも読めてきます。
ただ、二人の関係はどうであれ、天沢くんは夢を叶え立派なバイオリン職人になっているのではと予想しています。
あれだけ夢に真っ直ぐに突き進むことができれば、ブレることはないと思えますからね。
しかも、雫を想うストーカーのような部分も、一途さという意味においては夢を叶えるにあたっては欠かせない要素となりますから。
しっかりと日々修行して、腕を磨いていくのではないでしょうか。
天沢聖司がストーカーという噂も⁉︎
夢を叶えることにおいての一途さはとても重要ですが、こと恋愛においてはストーカーにもなりうる部分とも言えますよね。
実際、天沢くんもそういった部分が見え隠れしていて、巷ではストーカーなのかと噂になっているようです。
なぜなら、図書館で本を読む雫の隣の席にこっそり座っていたり、偶然を装い本を拾ったフリをしてみたりするからですね。
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二人で話すようになってからだって、図書館で調べ物をする雫の前の席にわざわざ座っていたり、朝早くに雫の家の前で待っていたりしていました。
これ、爽やかなラブストーリーだからキュンとできますけど、映し方を間違えればただのサスペンスです。
声もかけずに、じーっと自分を観察している人がいるのはちょっとゾッとしますもの。
こんな天沢くんの行動では、ストーカー説が出てしまっても仕方なかったというわけです。
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でも、本当のところは思春期の男の子の照れだったり、ぎこちなさが故の行動だったのではないでしょうか。
もちろん、同級生の杉村くんみたいに正面突破で告白するタイプの男の子もいますけど、天沢くんはそんな風にできるタイプではなかったのでしょうね。
話しかけたいけど何と声をかければいいかわからない、好きだけど自分のアピールの仕方が分からないといったジレンマがとらせた行動ということです。
中学生らしい可愛い反応と理解すれば、爽やかラブストーリーに戻れますね。
と、ここで終わりたかったのですが、実はもう一つ心理学的に見た説がありまして。
そこでは、これら全てがテクニックで、天沢くんは恋愛のスペシャリストだということなのです。
たとえば、図書カードで自分の名前を雫にすり込んだり、地球屋では話すのに学校では話さないことで気にかけさせたり。
かと思えば、わざわざ学校で雫を呼び出すことで周りに二人の仲をしらしめたりといったことなどです。
これらには、相手の気持ちを自分に向けるテクニックが多く使われているそうで、その順番も理に叶ったもになのだそうです。
もし、天沢くんが意識して使っているのなら、天才的な恋愛マスターの中学生となってしまいますね。
色んな見え方ができてしまう天沢くんの行動ですが、実際の天沢くんはどれなのでしょうか。
「耳をすませば」は自殺願望者を増やしてしまう⁉︎
まさかの恋愛マスター説まで飛び出した天沢くんですが、話を戻すと「耳をすませば」は胸キュン恋愛ストーリーです。
その中に、中学生らしい心の葛藤や夢、出会いなどが盛り込まれています。
ところが、そんな「耳をすませば」を放送すると、自殺願望者が増えてしまうという事態が起きてしまうようなのです。
どうやらそれには、ある3点ついて自分と雫を比較してしまうことが大きく関係しているようなのです。
その3点とは、まず一つ目が恋愛について。
自分も気になっているような素敵な人と、偶然の出来事から急接近していき最後は告白までされるという展開です。
女性なら、どうしたって憧れてしまうようなシチュエーションですよね。
二つ目は、周囲の大人たちについて。
とにかく優しく、気持ちが温かい人たちばかりです。
地球屋のおじいさんにしても雫の父親にしても、雫の話をしっかり聞いて理解し、雫をずっと信じていてくれていますね。
最後三つ目が、自分の夢について。
中学生にも関わらず、はっきりとした目標を既に持っています。
やりたいことに向かって邁進している姿は、輝かしいです。
これら3つについて、現実の自分はどうか、または過去の自分はどうだったかと、描かれた世界の内容とを比べて落ち込んでしまうようなのです。
普段なら、これは現実にはそうそうないおとぎ話であって、現実とは別なものとして受け止められるはずです。
でも心が弱っていると混同してしまい、現実の自分と雫を比べてしまうようで。
あまりのギャップに自分が不甲斐なく、抜け殻のようなちっぽけな存在に思えてしまうのだそうです。
その結果、いなくなりたいという思いからか、自殺願望につながってしまうということのようです。
しかも、この映画を十代の頃見ていて、大人になり改めて見た人が特に陥りやすいようです。
あの時自分にもこんなに理解してくれる大人がいたら、夢がはっきりあったら、恋が叶っていたらと、取り止めのない世界に踏み込んでしまうのかもしれませんね。
まとめ
デスノートとはびっくりしてしまいましたが、フェイクということでまずは安心しました。
だってもし天沢くんが心変わりでもしようものなら、デスノートもあり得なくないような気がしちゃいますから。
つまり、それほど胸キュンで純粋でキラキラしているラブストーリーなんですよね。
俄然、二人を応援したくなりますし、その後も一緒にいてくれたらいいなという理想はあります。
でも、大人になっていく中で環境や状況の変化もあるわけで、理想通りになるのは難しいかもしれませんね。
ただ二人にとって、青春時代の大切な宝物となったことは間違いないはず。
それも、天沢くんの雫に近づきたいという気持ちから起こした行動が、二人の時間を回し始めたおかげかもしれません。
多少ストーカーとも取れるような動きではありましたが、中学生の男の子らしい照れやぎこちなさですね。
とはいえ、これらが計算の上での行動なら大人顔負けの恋愛マスターだと言われていますから、雫が徐々に心を掴まれていくのも分かる気がします。
それがこのお話の魅力であって、キュンキュンの源でもあるのでしょうね。
ジブリの細かい描写は、実際の誰かから聞いているような現実味さえ感じてしまいます。
ありそうでない、無さそうであるといった不思議な距離感が、現実との線引きを曖昧にさせてしまうのでしょうね。
そんなところも楽しんで観れれば、ふたりの今後についてもっといろいろな形を想像できるかもしれません。
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