芸能活動をしながら大学にチャレンジした人といえば、菜々緒さんや松下奈緒さん、ジャニーズの小山慶一郎さんなど大勢いらっしゃいます。
二階堂ふみさんもそんな中の一人で、あの超有名難関私立大学の慶応義塾大学に入学しているんです。
同大学の芸能人では、例えば櫻井翔さんやジャニーズの菊池風磨さん、トリンドル玲奈さん、森星さん、miwaさん、葵わかなさんなどがいますね。
お仕事でも大活躍されている方々ばかりで、大学に行く時間なんかどこにあるんだろうかと不思議になってしまうのですが。
やっぱり、急な時間延長やロケの延期、レッスンやセリフの暗記などに追われてしまえば単位を落として留年ということもしばしばあるといいます。
しかも修得した実力のごまかしは効かないので、そうした中で大学を諦めざるを得ないこともあるようです。
そんなギリギリの挑戦の中、在学期間リミットの7・8年かけても卒業したケースでいえば、桐谷美玲さんや土屋太鳳さんがいますが。
それだけ仕事と大学の両立は難しく、悩む場面も多いようです。
実際、二階堂ふみさんもそういったことと奮闘中真っ只中のようで、今後卒業できるのかも含めて本人の意思も気になってきます。
一浪しても大学進学を希望したほどですから、きっとしっかり卒業したいと考えてはいるのでしょうが。
通う学部のことや大学生活ぶり、悩みや気持ちなどを見ることで卒業できるかを考察してみました。
在学期間のリミットも迫る中で、芸能人ならではの苦悩も見えてきたようです。
二階堂ふみは2014年に慶応に入学!学科や偏差値は?
高校卒業時に一度は断念した大学進学でしたが、諦めずに一浪して入学したのが、偏差値72.5という慶応義塾大学の総合政策学部です。
平均値が50という数値だということを考え合わせると、どれだけ優秀な大学・学部なのかということは簡単に想像できます。
二階堂ふみさんは、その学部へ一般入試ではなくAO入試という方法で合入学を果たしたのです。
ちなみにAO入試とは、学科試験以外の材料から合否を判定する制度で、アドミッション・オフィス入試の略になりますが。
この入試制度、倍率4.3〜5倍という狭き門なんです。
しかも、部活や課外活動、学問的活動で全国的・世界的レベルの実績を残している学生が出願してくるものだといいますから。
もはや自慢できる事や得意な事といった枠を遥かに飛び超えて、その分野で専門的に突出した取り組みをしている人が利用する制度といえるでしょう。
内容としては、志望理由2,000文字や自由記述、任意資料に評価書、活動報告書といった書類の提出が必要で、合わせて面接も行ないます。
これらから、その活動に対する熱意や熟練度、貢献度などを測り、大学のブランドを高めてくれる人材を選んでいくようです。
二階堂ふみさんがどのようなことをアピールし活動報告として提出したかはわかりませんが。
もし芸能活動をアピールしたと仮定するなら、充分に見合うだけの数々の賞を受賞されている女優さんです。
AO入試の合格も、大いに納得がいきます。
とはいえ、芸能人である限りどんな形で入学しようとも「冷やかしだ」「知名度アップだ」と疎ましく思われてしまうことがあるようです。
AO入試であればなおさら、芸能人というアピールしやすい環境がある故に、余計に反感はあったかもしれません。
二階堂ふみの出身高校の偏差値は⁉︎ビリギャルと話題に!
二階堂ふみさんが慶応に入学すると、「ビリギャルだ」と話題になっていました。
そもそもビリギャルは、実話を元にした小説が映画化されてとても注目されていたんですが。
学年で一番成績の悪い女子高生、一番ビリのギャルという事で通称ビリギャルが巻き起こした人生逆転の物語になります。
数学や英語などなどを基礎の基礎から叩き込み、偏差値を40もアップさせて現役で慶応大学に合格するのです。
それを踏まえて、何が二階堂ふみさんと繋がって話題になったのかというと、母校に理由があります。
二階堂ふみさんが卒業した高校はというと、都立八潮高等学校といって芸能人や著名人、文化人など多数輩出している高校です。
品川区という立地もあってか、芸能活動と学校との両立もしやすいとも言われています。
余談ですが、卒業生である薬師丸ひろ子さんなどは在学当時、「セーラー服と機関銃」の撮影を母校の制服で行っていたという話ですよ。
話を戻して、そんなこの高校の偏差値はというと43だと言われていますから。
その卒業生の二階堂ふみさんの偏差値も、おそらくそのくらいだったと考えられるのです。
そうなってくると、慶応大学に入るには少なくとも30くらいは偏差値をアップさせることになったはず。
学年で一番ビリの成績ということではないけれど、自分の偏差値を大幅にアップさせてレベルの高い大学に進学したのは一緒になります。
そのことから、ビリギャルと話題になったわけですね。
12歳でグラビアデビューして、ファッション誌「ニコラ」の専属モデルとして活動していた二階堂ふみさん。
小中学校は地元沖縄の学校であったため、東京と行ったり来たりの日々だったようです。
そこで、高校の進学を機に上京して、八潮高校に入学したという経緯がありますから。
学校選択は仕事のし易さ重視で、自身の実際の偏差値はもっと上だったとすれば、ビリギャルと同じとはいかないのですが。
二階堂ふみさんの負けず嫌いで努力家なところを合わせると、やはりビリギャルの噂もまんざらではありません。
二階堂ふみの大学生活は?サークルにも入っていた!
大学と女優業との両立という忙しい中でも、二階堂ふみさんが参加してみたくなったというサークルが「テニスの王子様」です。
大学には、本当にユニークなサークル活動というのがいくつもあって。
例えば、同じ慶応には「ペン回し研究会」というその名の通りペン回しを練習するサークルで、世界大会に出場していたりとか。
東大のみかんに特化した「みかん愛好会」というサークルは、減少したみかん消費を復活させるという理念で活動していたりとか。
その他にも「音ゲーサークル」「キャップ投げサークル」「資格ゲッターズ」などなど、個性豊かなサークルが各校数多くあります。
二階堂ふみさんが選んだ「テニスの王子様」というサークルは、「テニスの王子様」略して「テニプリ」を観るサークルなのだそうで。
お菓子を食べながら、この作品のマンガやアニメをただただ観ることが目的だといいます。
そもそもこのマンガは、許斐剛さんが週刊少年ジャンプで連載していた作品で、アニメ化やミュージカル化もされるほどの人気漫画だそうなんですが。
二階堂ふみさんは許斐剛さん作品のファンで、「テニプリ」ももちろん好きで観ていたことからサークルに参加したいと考えたといいます。
しかも、サークル内に漂う安心感にも惹かれたと話していて、一個人として純粋にリラックスしながら楽しめそうと感じたのかもしれませんね。
実際、サークル仲間たちは二階堂ふみさんが女優さんだと知らなかったようで、そんな普通の感じが楽だったのでしょう。
とにもかくにも、忙しい合間を縫ってサークルにも参加していたわけですが、二階堂ふみさんはさらにボランティア活動にも参加していたといいます。
それは、児童養護施設の子供たちと一緒にご飯をつくったり写真を撮ったりするものだったようで。
子ども好きな二階堂ふみさんが、何か子供たちの心に残るような時間を作れたらと始めたものだったいいます。
二十歳を迎えて、自分にできることをと考えての行動だったようですが。
ただでさえ忙しい中、色々な活動に意欲的に参加していく行動力など見習いたい部分だなと感じます。
二階堂ふみは大学に仕事でほぼ通えていなかった?
2018年夏ごろ関係者が明かした話によると、二階堂ふみさんは大学に全然行けておらず、仕事との両立が難しいことを悩んでいたようなんです。
二階堂ふみさんといえば、2014年に出演した映画「私の男」をきっかけにニューヨーク・アジア映画祭ライジングスターアワードを受賞。
更に2015年にはエランドール賞新人賞などを受賞と、実力派としてのポテンシャルの高さがありました。
デビュー当初からも将来有望だと言われてはいましたが、これらの賞の受賞によって、国内外問わず一目置かれる存在となったのです。
その後、テレビでの活躍の場を広げるべくバラエティ番組にも2016年〜2018年に渡りレギュラ出演。
一気に、若い世代の人たちからもよく知られる女優さんとなっていきました。
そこからさらに勢いは増し、2018年になるとNHKの大河ドラマに出演。
2019年には連続ドラマに初主演すると、映画「翔んで埼玉」への出演も果たし人気・実力ともに大きく上昇したのです。
2020年になるとNHKの朝の連続ドラマの出演から、年末の紅白歌合戦の司会者への大抜擢と。
「二階堂ふみ」という女優さんの顔も幅広い世代に知れ渡り、国民的女優さんへと羽ばたいたのです。
振り返ると2014年の映画の出演以降、2020年まで女優として着実に力をつけステップアップしている頃になります。
むしろ同じ2014年に入学した大学には、いつ出席していたのだろうかと不思議になるほどです。
しかも、二階堂ふみさんが入った学部は、20〜30人ほどの少人数での講義が多いことで有名だそうで。
そういった授業においては出席が重視される傾向にあるため、講義に出ないことには単位を落としてしまいます。
これだけの映画やドラマとの両立では、時間がなくて厳しいと悩むのももっともな話です。
さらに、そんな状況に追い討ちをかけるような出来事があったようで。
週刊誌での二階堂ふみさんのセクシーな写真と本人を、男子学生が見比べたりして盛り上がっていたのだといいます。
なんとも心ない行動で、余計に大学へのモチベーションも薄れてしまったのではないでしょうか。
学校内でも退学してしまうのではないかという説や、もう辞めてしまったという説まで飛び出したといいますから。
それほど、欠席が続いていたということだったようです。
二階堂ふみは留年◯年目!薬師丸ひろ子に退学を相談していた?
2020年となり大学生活もすでに7年目を迎えたとき、二階堂ふみさんは薬師丸ひろ子さんに大学をこのまま続けていけるのか相談したといいます。
この年、実は二人はNHK朝の連続ドラマ「エール」で共演をしているんです。
そんな出会いの中よくよく話をしてみると、二人が同じ高校出身だったことが判明。
しかも二階堂ふみさんからすれば、薬師丸ひろ子さんは仕事と大学を両立させ卒業も果たした先輩でもあります。
二人ともが、自分と同じような状況を経験するもの同士として一気に親近感がわいたのでしょう。
本当の親子のように、仕事以外のことも話すようになっていったといいます。
きっと撮影の合間でも、短くも濃い会話をしていたのではないでしょうか。
その中で二階堂ふみさんは、大学を辞めたほうがいいのかということを相談していたといいます。
きっと、大学に行けていないことや7年目という焦り、両立という歯がゆさなどを正直に話したのではないでしょうか。
同じ慶応大学にも、芸能界からジャニーズの菊池風磨さんやアイドルグループ°C-uteの鈴木愛理さんなども在籍していましたが。
留年なく卒業していることには、学部こそ違っても羨ましくもあり焦りのような思いも感じたことでしょう。
また、女優という仕事はドラマや映画の撮影で長期間の拘束を必要とされたり、ロケで一ヶ月近く地方から帰って来れないなんてこともあります。
彼らの仕事スタイルとは時間の使い方も違っているから、余計に学業との両立が難しくなっているという思いもあったでしょう。
それに加えて、男子学生の心ない行動もあったりして。
大学に行きたくて入ったから卒業したい、でも行けてないし行きたくないような気持ちもあるといった感じだったかもしれませんね。
そういったモヤモヤした思いを、きっと汲みとったのでしょう。
薬師丸ひろ子さんは「大学で学んだ日々は、将来、女優業の役に立つ。だから大変だと思うけど、身体を壊さないように頑張って」とアドバイスしたといいます。
アイドル女優として多忙な日々を送りつつもしっかり大学を卒業した薬師丸ひろ子さんの言葉は、刺さるものがあったはずです。
自分で選んだ大学と仕事の両立という状況を成し遂げるのは、自分の強い意志しかないというメッセージも込められていますが。
ただ、二階堂ふみさんがどう決断するにしても、スッキリした気持ちでいてほしいものです。
二階堂ふみは慶応を卒業するのか?
卒業できるのかどうかは別として、二階堂ふみさん本人の気持ちは卒業に前向きだといいます。
たしかに以前は、大学と仕事のバランスをとることが困難で、両立できているとは決して言えなかったようです。
その証拠に2014年に入学した大学生活も、2018年の時点でまだ大学3年生に留まっています。
それは、二階堂ふみさんの所属する学部は人気だけど出席重視の講義が多いことがひとつの理由でした。
そのため、ただでさえ留年率の高い学部な上に仕事もこなすのは、スケジュール的にも厳しかったといえます。
中退をほのめかすこともあったようで、状況的にはいつ辞めてしまってもおかしくなかったようです。
ただ、そうならずにいるのは、一つに同い年・同じ事務所で売れっ子同士の土屋太鳳さんが大学を8年目にして卒業したことにあります。
同じ環境の者の頑張りが励みになったとも言えるのですが。
二人の関係性的にはそれだけでなく、ライバル心的な部分もあって奮起できたようです。
土屋太鳳&二階堂ふみ“新旧ゴチメン”ショットに反響 「同い年とは思えない」 (2019年2月17日) – エキサイトニュース (excite.co.jp)
なんにせよ、このことが「よしやるぞ!」という気持ちの着火剤になったことは間違いありませんね。
更に、心に付いたその小さな炎を燃やす原動力となったのが、もう一つの理由である持ち前の頑張り屋で負けず嫌いという性格でしょう。
挫けそうな状況のときに、自分を奮い起こせるかどうかの重要な要素になってきますから。
そして、最後に背中を押してくれた理由としては、やはり薬師丸ひろ子さんのアドバイスに尽きるようです。
母親的存在であり、同じく多忙を極める中でも大学を卒業した先輩からのアドバイスは心強かったと思われます。
そういったことから、気持ち的な部分には前向きになって取り組もうとしているようですが。
大学のシステム的な部分では、まさに卒業できるかどうかの崖っぷちにあります。
というのも、大学3・4年生の間で4年経っても卒業できない場合は退学となってしまうからです。
原則、8年で卒業ということを考え合わせても変わりありません。
ただ、休学することでそのリミットを引き伸ばすこともできるようで。
せっかく卒業への意欲を持ったのなら、諦めず色々な手法を駆使して卒業まで漕ぎつけてほしいものです。
まとめ
芸能人ですでに活躍されている方でも、大学進学にチャレンジする人は多いようです。
二階堂ふみさんもそういった中の一人で、現役から一年の留年を経て慶応大学の総合政策学部にAO入試で合格しました。
沖縄から上京し芸能活動を中心とした目的で入学した高校では、慶応が狙えるほど偏差値が高いとは決して言えなかったようです。
そにため、そこからの慶応合格がまさにリアル「ビリギャル」に見えて話題になりました。
入学すると、せっかくの大学生活の期間を充実させるかのように、忙しい合間をぬっても意欲的に色々な活動に参加していたようで。
ボランティア活動に、サークル活動まで参加していたようです。
ただサークルで選んだ活動は、ずっとファンだった「テニスの王子様」を観る会だったようで、息抜きの一つとなっていたのかもしれません。
と何にしても、忙しくも充実した大学生活を送っていたかに見えたのですが。
その裏で同じ学生の心ない行動に落ち込んだり、女優業と学業の両立の難しさに悩んだりしていたといいます。
そういったことが積もって、せっかく努力して入学した大学を退学しようとまで考えてしまっていたのです。
でも、そんなときに同業の土屋太鳳さんの8年越しでの大学卒業や、母親のような大先輩薬師丸ひろ子さんからのアドバイスがありました。
中退を思いとどまり、二階堂ふみさんは再び卒業を目指す決心をかためたようです。
そうなってくると、どうにか卒業まで漕ぎつけてほしいのですが、大学の制度的にはリミットが近いと思われます。
休学など、色々手を尽くしてもあと1〜2年で答えは出るはずです。
結果的に卒業できたかどうかは別として、二階堂ふみさん自身がやり尽くしたと思える日々であったらいいなと感じます。
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