二階堂ふみさんは、小学生の頃に「沖縄美少女図鑑」に掲載されたあと、数々のモデルのお仕事を経て女優の道へと進んできました。
順調な経歴を見ると、何か芸能に携わるような家庭で育ったのかと思ってしまうのですが。
そういうわけではなく、小学生のころに地元沖縄でスカウトされたことが芸能界の道へ進むきっかけとなりました。
一般的に言えば、ひとり娘の芸能界進出など親の反対にあってもおかしくないのですが。
逆に、お母さんは二階堂ふみさんの背中を押してくれたといいますし。
もっと言えば、そもそも二階堂ふみさんが女優になりたいと考えるようになった理由は、お母さんの影響だったようです。
とすると、女優「二階堂ふみ」のルーツはお母さんにありといえるのではと思えてきます。
そこで今回は二階堂ふみさんのお母さんにスポットを当ててみることに。
家庭の雰囲気を想像しながら見てみると、女系の家庭ならではの関係性も見えてきたようですよ。
二階堂ふみの母親のプロフィール[顔画像]
二階堂ふみさんのお母さんの公表されている写真は背後からのものばかりで、顔出しはしていないようです。
チラッとでもお顔が写っているものがあればと思ったのですが、仕方ありません。
ただ、そんなところからすると、もしかしてめちゃくちゃ恥ずかしがりやで引っ込み思案な感じなのかと思ってしまうのですが。
そんな一面だけではなく、実はお母さんはイケメン好きのミーハーなのだとか。
二階堂ふみさんがドラマや映画で共演した俳優さんを見ては、会いたいとリクエストしてくるのだそうです。
実際に会えた俳優さんがいるかのかは分かりませんが、そんなリクエストをするなんてめちゃめちゃ女子してますよね。
こちらが会ってみたくなるような、キュートなお母さんです。
ただ、ここにくるまでにはたくさん苦労もしてきたようで、二階堂ふみさんにとってしつけに厳しい母親という一面もあったといいます。
というのも、詳しくはこの後に触れますが、二階堂ふみさんの父親であるかたとは離婚して、シングルマザーとして二階堂ふみさんを育てたという経緯があるからなんです。
地元の沖縄で、二歳年下の日本料理人をしていた彼と出会ったことがきっかけとなりました。
その彼と結婚し、20代で二階堂ふみさんを出産してと、若くして一気に人生の節目を迎えたようなんです。
ですが、親子三人での生活というのは長く続かず、娘との二人暮らしがスタートします。
女手一つとはよく言いますが、そのせいで娘がいじめられたり行儀が悪いと思われてはいけないと、当時は厳しく二階堂ふみさんを育てていたようです。
お金はなくても、娘のためにと習い事を積極的にさせるなど教育熱心だったとも言われていますし。
年も若く、不器用だったのかもしれませんが、娘を立派に育てようとするお母さんの愛情の深さと一生懸命さが感じ取れるようです。
そんなお母さんのモットーは「悩んだときは食べて寝る」だそうで、二階堂ふみさんにもそう教えていたといいます。
若い頃に母親となって大変なこともあったかもしれませんが、いつも明るくパワフルにしている姿が目に浮かぶようです。
二階堂ふみの母親は沖縄でお店を経営している!お店の場所は?
二階堂ふみさんのお母さんには、地元沖縄でお店を営まれているんじゃないかという噂があります。
というのも、元旦那さんつまり二階堂ふみさんのお父さんが料理人だということが影響しているようで。
お母さんは、飲食店を経営しているのではというような情報が多くあるんです。
実際お店をやられているのかもさだかではないものの、半信半疑でお菓子店という説を深堀りすると、意外にも有力なお店の情報を見つけてしまいました。
そう思った理由は3つあって、まずはそのお店の立地です。
沖縄那覇市の壺屋という、土産物店などが並ぶ観光地「国際通り」や「牧志公設市場」などからもほど近いところになりますが。
それというのは、以前にも触れた、二階堂ふみさんの生まれ育った実家があるとされるまさにその地域なんです。
母校の神原中学校も近所と考えると、何かしら関係があったかもしれないと思ってもおかしくありません。
さらに、早とちりと分かりつつ言ってしまうと、お店と家が一緒のパターンもあり得ると勘ぐりたくなるような状況です。
ただ、お店自体の歴史はまだ浅くてオープンが2018年といいますから、残念ながらお店が実家説はあり得ません。
とはいえ、家の近くにお店を構えるというのはよくある話ですから、お母さんのお店である可能性は十分あり得るというわけです。
その次に注目したのは、商売を始めた時期になります。
そもそもこのお店は、店主のおかみさんが一人で切り盛りするこじんまりしたお店です。
ですが、ジーマーミー豆腐やポークおにぎりといった沖縄ならではの品も置いてありますし。
手作りのジャーマンケーキやジーマーミープリンといったスイーツなんかも揃っているんです。
そんな中で一推しの商品が、島豆腐のおからで作ったスティック型のクッキーだといいます。
10年以上も前から土産物店などへ卸していたそうで、それが原点となってお店を構えるに至ったそうなんです。
そこでピンときたのは、お菓子をお店に卸していた時期を二階堂ふみさんのお母さんにあてはめると、ちょうど離婚した時期と同じくらいといえます。
自分で生計をたてていくにあたって、得意なものか、元旦那さんに教わったお菓子を作って売り始めたと考えてもおかしくありません。
もしかしてと思い始めたあとに、最後にもう一つ注目したのは、お店の紹介で出ていた店主であるおかみさんの写真です。
もしかして二階堂ふみさんのお母さんのお店かもと、思っているから余計にそう見えてしまうのかもしれませんが。
以前、家族旅行で写っていた二階堂ふみさんのお母さんの後ろ姿の写真と似ているような気がするんです。
しかも、恥ずかしいから後ろ姿だけと言うその顔出しをしない理由まで同じで、どんどん二階堂ふみさんのお母さんなのではと思えてきます。
ここまでではあくまで推測の域を超えないのですが、実際、こちらが二階堂ふみさんのお母さんのお店だと紹介する情報もあるんです。
トータルして考えると、確定とまではいかないもののかなり信ぴょう性はあるのかなと思えます。
と、それはさておき、そのジーマーミープリンやおからスティックはぜひとも食べてみたい一品です。
二階堂ふみの母親は父親と離婚していた
先の話題でも軽く触れましたが、二階堂ふみさんが11歳のときにお母さんとお父さんは離婚が成立しました。
その後、二階堂ふみさんはお母さんに引き取られ、沖縄で幼少期を過ごしていくことになったわけですが。
当時を振り返って二階堂ふみさんは、精神的なダメージは大きかったとテレビのトーク番組などで話していました。
お父さんとは現在も連絡を取り合ったりして、二階堂ふみさんが飼っている愛犬に会いに来たりするほど仲良しなのだそうですが。
そんな関係性も考えれば、当時の二階堂ふみさんにとってお母さんのことはもちろん好きだけど、お父さんと離れること自体もショックだったといえるかもしれませんね。
とはいえ、両親の決断をどこかで受け入れなくてはいけないわけですから、辛い現実となったことでしょう。
かたやお母さんも、母子ふたりで生活していくことを考えれば相当な苦労をされたと想像できます。
母娘ふたりで暮らしはじめた当時、お金もなく住み始めた家にはお風呂もついていなかったそうです。
それでも、バイオリンや英会話、琉球空手など多数の習い事に二階堂ふみさんを通わせていました。
父親がいないことで、他の子と何か差ができてしまわないようにと頑張っていたのではないでしょうか。
後に、たくさんの習い事をしていたという話を二階堂ふみさんが披露すると、実はお嬢様なのではという噂もたちましたが。
そういうことではなく、お母さんの思いやりと頑張りでやりくりしていたというわけなんです。
二階堂ふみさんはそれをしっかり理解していて、「当時、母親は辛かっただろうなと感じる」と語り、「還元したいなって、大きな夢がある」と母親孝行への思いを強く語っています。
この離婚がなければ違った生活をしていたかもしれませんが、このことはある意味運命といえる出来事だったようなんです。
というのも親戚みんな離婚経験者で、お父さんの3人兄弟、お母さんの3人兄弟、全員が離婚しているのだといいます。
自分もかもと不安だったのか、占い番組で二階堂ふみさん自身のことも占ってもらっていますが、やはり離婚の星をお持ちのようです。
回避するには、32歳での結婚が重要だということで、ぜひともアドバイスを実現して、家族初の離婚未経験達成となってほしいものです。
二階堂ふみは母親の影響で女優を目指した
離婚後は、お母さんも必死だったでしょうし、二階堂ふみさんも色々な気持ちを抑えて頑張っていたことだと思います。
そんな中で、二人の楽しみの一つだったのが映画を見に行くことだったようです。
お母さんの映画好きは昔からで、幼い二階堂ふみさんを連れて近所の映画館によく行っていたといいます。
そして見終わると決まって、その映画のことについてまるで評論家のように良し悪しなどを語ったりしていたということです。
二階堂ふみさんも、そうやって映画に触れる機会が多かったこともあってか、映画というものに憧れを持ち、小さい頃から女優になることを夢見ていたといいます。
小4のころには、「女優になってテレビにでたい」とはっきり伝えていたといいますから、その頃から変わらず一貫して突き進んできたわけですね。
しかもそんなお母さんだったからこそ、二階堂ふみさんが芸能界からスカウトされたときも反対することはなかったといいます。
というよりも、むしろ背中を押してくれたのがお母さんだったようです。
二階堂ふみさんが、迷いやブレもなく子どもの頃からの夢を突き進んでこれたのは、お母さんの応援のたまものかもしれません。
そんな二階堂ふみさんは、女優というお仕事についての自分の考えを、19歳の頃のインタビューでこうのべています。
「ひとつに映画を作る上で、監督がいて、俳優がいて、録音照明部、衣装部、メイク部がいて、私はあくまで俳優部の一人として作品に参加しているということ。だから、自分のキャラクターがどう映るか?ということではなく、何より作品のために自分に何ができるのか?というのが一番大事なんです。」
このように、自分が一貫して持ち続けている考えを語っていましたが。
こんなに映画についてしっかりした軸を持っているのも、映画に触れる機会が多かったこともあるのでしょう。
そして、お母さんの評論家のような分析が、もしかしたら影響しているのかもしれません。
二階堂ふみと母親のエピソード
お母さんとは女同士ということもあって、やはり仲は良いのだそうです。
その証拠に、トーク番組などでもお母さんとのエピソードが話題にのぼる場面が多くあります。
そんな中のひとつに、お母さんのことが好きなんだなあと感じる話があって、お母さんから貰ったおさがりの服を今だに着たりするそうなんです。
まずそもそもで、母親の服をもらうということからして仲の良さが伝わってきますが。
さらに、その洋服というのはお母さんが20年以上前に買ったものだというので驚きです。
さすがにボロボロになってきたそうですが、それでも可愛いくて大切にしているといいます。
昔の服が、世代が変わることで再び人気になったりするとはいえ、ずっと大切にしているというのが素敵なところです。
ほかにも、親子の思いが感じられるエピソードに、お母さんに送ってもらう仕送り荷物の話があります。
都会の暮らしも長くなると、地元でしか食べれないものや郷土料理などが余計に恋しくなるものですが。
そんなとき二階堂ふみさんは、お母さんに「○○を送ってほしい」とおねだりするといいます。
すると、お母さんは早速準備して送ってくれるのだそうですが、そこにはゴーヤも一緒に入っているのだといいます。
お願いをしなくても必ず入ってくるそのゴーヤには、ちゃんと栄養をとって元気に頑張れという気持ちが詰まっているのでしょうね。
そんなお母さんの気持ちを汲み取ってか、二階堂ふみさんはちゃんとサラダにしてパワーチャージしているといいます。
そんな以心伝心のやりとりをみると、親子関係の良さが伝わってくるようです。
ただ、そんな二人なだけに伝わり過ぎてしまう部分もあるようで、お母さんには話せないこともあるといいます。
女同士だからこそ分かりすぎてしまったり、読めちゃうこともあるのでしょうね。
母娘だから「見せたくない何か」や「察知されたくないこと」。
そんなときは、おばあちゃんがクッション役に入ってくれるといいます。
母娘3代、良いバランスをとりながら素敵な関係を築いているのがわかるようです。
そんなふうに仲の良い親子になると、感謝の気持ちを伝えるというのは恥ずかしくなりますが。
NHK大河ドラマの西郷どんで、二階堂ふみさんが愛加那役で登場した日。
ちょうど母の日だったようですが、「生まれてきてくれてありがとう」というメールがお母さんから届いたのだそうです。
一番大切なことをサラッと伝えられるなんて、とても素敵なことだと感じます。
まとめ
二階堂ふみさんが女優を目指すようになったのは、映画好きのお母さんの影響によるところが大きかったようですが。
両親への感謝の気持ちを忘れない素敵な女性に育ったというのも、お母さんの頑張りを間近で見ていたのが影響したように感じます。
決して裕福ではなかったけれど、お金では買えないものをお母さんからたくさん貰っていたのではないでしょうか。
そんな親子関係だからこそ、お母さんの服のおさがりを、20年以上たった今でも大事にして着ているのでしょうね。
そんなことを考えると、すっかり真面目で強いお母さんというような印象を持ちますが、好みのタイプはイケメンよと話すお茶目な一面も持ち合わせています。
またそうかと思えば、共演した俳優さんに会ってみたいとおねだりするような女子っぽさや、写真は後ろ姿だけというようなシャイな部分まであったりして。
今後も、お母さんのエピソードには事欠かないんじゃないかというキャラクターの持ち主です。
そんなキュートなお母さんには、お菓子屋さんを経営しているというウワサがあります。
今のところ、那覇市の実家と同じ地域にあるお店ではないかというのが有力な情報ですが。
美味しそうなスイーツがたくさんあるお店なので、お母さんに会えるかは別としても食べに行ってみたいなと思ってしまいます。
お母さんは離婚したことでいろいろ苦労もあったと思いますが、その分素敵な母娘関係を築けたようです。
お父さんの方も、離れてしまったとはいえ良い父娘関係が続いていますから、これもまた、ひとつの家族のカタチなのかもしれません。
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