【父親プロフ】浅野翔吾の父親の仕事は野球コーチ?若い頃のすごい記録や浅野翔吾とのエピソードをまとめてみた

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みなさんは、今年の甲子園を大いに盛り上げてくれた高松商業の1番の浅野翔吾選手をご存知ですか?

ドラフトでも1位獲得するだろうと言われて、超注目選手である浅野翔吾選手ほどの実力があると、親が何かのスポーツ選手だったのかな?と思いますよね!

そこで今回は、

「浅野翔吾の父親の仕事は野球コーチ?若い頃のすごい記録や浅野翔吾とのエピソードをまとめてみた」と題してお送りします。

では、早速いってみましょう!

目次

浅野翔吾の父親の仕事は野球コーチ?

https://twitter.com/nozomilabu/status/1293841855306579968/photo/2

浅野翔吾さんの父親の具体的な職業について調べましたが情報がなくて不明でした。

その為、仕事が何かは不明ですが、息子の翔吾さんを支える野球コーチであることには変わりありません。

浅野翔吾選手の父親の名前は、「浅野 幹司さん」です。

父である幹司さんは、浅野翔吾選手にとって、1番近くで練習を見てくれている最大の理解者であり、同時に、浅野翔吾選手の最高のコーチでもあります。

浅野幹司さんのその他詳細な情報は分かっていません。

徳島商業は甲子園に何度も出場している名門高で、これまでに1度の優勝経験があります。

しかし、浅野幹司さんが野球部に所属していた頃に甲子園に出場していたという情報もないため、甲子園経験者かどうかはわかりません。

ただ、浅野翔吾さんは野球経験者である浅野幹司さんに、まるでコーチのようにアドバイスや相談をしているようです。

浅野幹司さんがコーチになれる理由

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20210819002827.html

浅野翔吾選手の父がコーチになっている理由はいくつかあります。

・浅野翔吾さんが野球を始めたきっかけのキャッチボールを教えた人

・過去に高校で野球をしていた経験者であること

などです。

特に、父の幹司さんは、高校生の時になんと「徳島商業」の野球部に所属しており、野球の経験があります。

打撃などでなかなか調子が出ない時に、浅野さんが一番最初にアドバイスを求めるのが父の幹司さんなんだそうです。

父の幹司さんは徳島商の野球部出身とのことで、コーチには適任なんですね。

「調子が悪い時に一番、頼りになる存在です。修正する時に一番最初に聞くのがお父さん。自分で(修正)する時もありますが、それでも無理な時はお父さんに聞いて動画を見せて…。お父さんが今まで一番、近くで練習とか見てくれているので」。

引用元:スポニチ

また、浅野翔吾選手は、野球の技術はもちろんですが、、応援してくれる人たちに対しての考え方や姿勢も父の幹司さんから学んでいます。

名門校からのスカウトを蹴って高松商業を選んだ理由は父の一言

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20210819002826.html?iref=pc_photo_gallery_next_arrow

有名なエピソードとして、浅野翔吾選手が名門校からのスカウトを断ったのは父の一言が理由だった、と言う話があります。

中学時代からホームラン連発のスーパーマンとして周りから大きな注目を浴びていた浅野翔吾選手は、もちろん県外の名門学校から「ウチの学校に来ないか?」とスカウトマンがきていました。

しかし、当時遠征をするために、地元の多くの方が浅野翔吾選手を応援し、遠征費をカンパしてくれていました。

なので、浅野翔吾選手の父親はその事を息子の翔吾選手に伝えた上で、

「県外に出てしまうとこれまで応援してくれていた地元の人たちが直接見にこられなくなる。応援してもらえる場所でやったほうがいいんじゃないか?」とアドバイス。

その幹司さんの言葉があり、それに対して納得をした浅野翔吾選手は、地元の高松商業に進学することを決意しました。

当時の具体的な話はこうです。

中学3年生の時には県外の名門私学からも浅野翔吾選手に対して勧誘がきた。

予想外のスカウトに「まさか誘いがくるとは」と喜び舞い上がる浅野選手に対して、父の幹司さんがこんな言葉をかけたそう。

「県外の高校に行ったら、お世話になった人が直接見に来られなくなるぞ。レグザムスタジアム(香川県営野球場)なら土日に来やすいし、応援してもらえる場所でやったほうがいいんじゃないか?」

引用元:Number Web

本人の将来を思えば、名門高校でメキメキ実力をつけた方が良いかもしれません。その気持ちをグッと堪えて、今まで応援してくれた地元の方への感謝と、その気持ちに報いることの大切さを息子に説いたんですね。

なんとできたお父さんなのでしょう‥私なら、一緒になって飛び上がって喜んで、ほぼ何も考えずにスカウトを受けさせていたかもしれません‥

実際に今、浅野翔吾選手はお世話になった人たちへの恩を忘れず、ひたむきに野球に向き合う姿は誰もが応援したくなりますし、感動します。

技術面だけでなく、精神面での成長にも父・幹司さんの影響がとても大きいんだと思います。

浅野翔吾の父親の若い頃のすごい記録は?

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20210819002828.html?iref=pc_photo_gallery_next_arrow

ドラフト1位と言われてスカウトマンの大注目を浴びている浅野翔吾さん。

そんな翔吾さんに最も頼られる野球コーチである父親の幹司さん。

そんな彼ですが、若い頃は一体どんなすごい記録を残していたのだろう?と気になり、調べてみたのですが、特に何も情報が見つかりませんでした。

かと言って、全く実績の無い普通の方なのか?と言われると、それも分からないので、今はありのままの事実から考えてみたいと思います。

2022年現在で年齢が53歳ということから、1969年(昭和44年)生まれだとわかります。

出身は徳島県で、徳島県の強豪校である、徳島商業高校に進学されたそうです。

徳島商業高校について

http://tcs-ga.net/2020/05/

浅野翔吾さんの父親の出身校である「徳島商業高校」についてご紹介します。

■所在地

徳島市城東町1丁目4番1号

■甲子園出場回数

42回(夏23回、春19回)

■在籍していた主なプロ野球選手

板東英二、川上憲伸、杉本裕太郎

となっています。

過去に、有名な選手がたくさん在籍している強豪校なんです!

浅野 幹司さんが高校生の頃に、現役で甲子園に出場されたかどうかはわかりませんが、53歳という年齢から逆算すると、1984年・1985年の春夏の甲子園に出場しているので、もしかしたらその時に浅野幹司さんも選手として甲子園に出場していた可能性があります。

真相はわかりませんが、「強豪校の野球部に所属していた」ということは事実なので、浅野翔吾さんの父親の野球の実力も素晴らしいものがあったのでしょう。

また何か情報が出てきたら、記事を更新したいと思います。

浅野翔吾と父親とのエピソードをまとめてみた

https://koinoshizuku.com/asanoshogo-family/

浅野翔吾選手と父の幹司さんは今まで二人三脚で努力してここまでやってきました。二人の間には普通の親子とは別次元の強い信頼関係や絆があると推測できます。

そこで、浅野翔吾さんと父親との間にある数々のエピソードについてご紹介します。

野球を始めたのは父の影響

https://www.instagram.com/p/B-BUz-AFeDX/?utm_source=ig_web_copy_link

小学3年生のころに屋島シーホークスに入った浅野翔吾さん。

野球を始めたきっかけは、なんと、お父さんとのキャッチボールだったそうです!

元名門高校で野球を経験していたお父さんですから、息子とのキャッチボールはさぞ嬉しかっただろうと予想できますね。

最初はただのキャッチボールから始まり、徐々に「投げ方が違う!」とか、「もっとこうしなさい!」という感じで難易度がレベルアップしていったのではないかな?と思います。

浅野翔吾が6年生のとき屋島シーホークスの監督だった父親

https://news.yahoo.co.jp/articles/06a776ee398bb16508233fbfc4c36d1e5fbe1ab8/images/000

浅野翔吾さんの父である幹司さんは、翔吾さんが小学校6年生の時に屋島シーホークスの監督を務めていたそうです。

地元の野球チームの監督を任せられるということは、周りの人からの信頼が厚く、「この人になら我が子を預けても大丈夫だろう」という風に思われていたのでしょうね。

私も2人の子どもがいますが、習い事をさせるにあたってまず考えるのは「何をするのか?」よりも「誰が教えるのか?」です。

習い事でも野球でも、やり方やルールを教えるだけではなく、人としての在り方や姿勢、常識なども教えていく必要があるので、監督やコーチの人間性というのはとても大事になってきますからね‥

ちなみに、当時から浅野翔吾さんへの野球の指導は特に厳しかったとか‥我が子を特別扱いして甘くするのではなく逆に厳しく接する事で、早い段階で本気で野球に取り組み始めて、メキメキと実力をつけさせていったんでしょうね。

お父さんは徳島商の元球児、翔吾さんが6年生の時にはチームの監督を務めていました。

人当たりのいい方ですが、翔吾の指導には厳しかった。

練習開始時刻にグラウンドに着くと、お父さんに叱られた後なのか、泣きながら練習している翔吾の姿を何度か見たことがある。

引用元:日刊ゲンダイ

ってか、練習開始時刻の前から既に泣くほどの練習をさせていたんですね‥すごくスパルタな指導だったのでしょうか‥

野球を始めた頃から、浅野翔吾さんに愛の鞭を与えて指導していたようですし、頼れるコーチだったんですね。

浅野翔吾の打撃フォームは父の影響が強い件

https://pixabay.com/photos/baseball-coach-baseball-coach-1478289/

2022年甲子園大会では3本、高校通算67本のホームランを放っている「怪童」浅野選手‥

そのバッティングフォームの原点となったのが気になって調べた所、なんと父親の幹司さんの指導によるものだそうです。

「今とは全然違いますが、最初に教えたのは私の好きな型でした。原さんです」。巨人原辰徳監督だ。

東海大相模、東海大を経て、巨人の4番を張った打撃フォーム、幹司さんの理想型だった。

「まずトップの位置を決める」と左肩の上にあごが来る構えをジェスチャー付きで説明。

「トップからミートまで距離がないと球は飛ばんよ、と教えましたけど、飛ばす能力は教えられるもんじゃないんで、持っとったんかもしれませんね」。

引用元:日刊スポーツ

巨人の原さんの打ち方のフォームを参考にしながら、息子の翔吾さんに教えたようですね。

とはいえ、プロが試行錯誤してやっと編み出した打法を一般の素人が真似しようとしてもなかなかできるものではないですよね。それだけ父の幹司さんの「観察力」というか「注意力」というか・・そういうものが優れていて、しかもそれを息子に合う教え方を編み出したってことですから本当にすごいことです。

仕事でも勉強でも、自分でやるより「人に教えるほうが大変」ですもんね・・・

浅野翔吾さん自身が元々生まれもった才能はあったかもしれませんが、世代No.1スラッガーに成長した浅野選手を見ていると、これまでずっと支えてきた父親の幹司さんの指導もかなり影響が大きかったのだと思います。

まとめ

https://news.ksb.co.jp/article/14670006

いかがでしたか?

今回は、主に浅野翔吾さんの父親にスポットをあててご紹介してきました。

ざっくりまとめると

  • 浅野翔吾の父親は徳島商業高校出身で元野球経験者
  • 浅野翔吾の父親は小学校からのコーチで鬼コーチだった
  • 浅野翔吾が高松商業高校に進学したのには、父親からの助言があった

とあります。

この夏の甲子園で主役級の活躍を見せたその背景には、父の懸命なサポートと、固い絆で結ばれた信頼関係があったんですね!

今後も浅野翔吾さんの活躍が楽しみですし、応援していきたいと思います!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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