この「千と千尋の神隠し」は、バブル世代が親となり、時代も環境もこれまでとは全く違っていくような、様々な変化が起きていた頃が背景にあります。
その中で、どこにでもいるような、ちょっと引っ込み思案な女の子の心の成長が、メインのテーマとなっているわけですが、伏線としても、様々なテーマやメッセージが込められています。
そこでここでは、千尋の両親のことやその関係性などについてを深堀し、そこに隠されているものを探っていってみます。
千尋はなぜ大量の豚の中から両親を当てることができたの?
これは、多くの人が疑問に思っているらしく、各々、様々な見解を説いています。
- 銭婆に貰った髪留めには、千尋の行動が全て良い方向に行く魔力が掛かっていた
- 河の神に貰ったニガ団子には、呪いを解除する力とともに、魔法を見破る力がある
- 千尋と両親の絆の強さを、湯婆婆がネズミとなった坊を見抜けなかった対比として描いている
- 千尋が成長し独り立ちして、両親に依存しなくなった証
- ハクに、事前に教えてもらっていた
- 親たちが盗み食いをして豚になった時、髪の毛が残っていたが、それが見分ける目安になった
自分にしっくりくる見解は、ここにあったでしょうか。
個人的には、3番の、湯婆婆親子との違いや絆の対比といったところが、それっぽいかなあなんて思いました。
https://rinrism.com/maxim/anime/senchihi
とはいえ、答え合わせ的な、ジブリ公式の宮崎駿監督からのコメントが実はあって、
千尋は色々な経験をして、「生きる力」を獲得したから、それを「分かるのが人生」というものでした。
つまり、「千尋がたくさんの経験を経て大人になったから」
大量の豚の中でも、両親のことを言い当てれるのは当然であって、それが人生だというのが制作者側からのメッセージです。
そもそもなぜ両親は豚になったのか
元をただして、そもそも千尋の両親はなぜ豚になってしまったのかというと、簡単にいえば「自分の欲に負け、よそ様の物に手を出して、食べてしまったから」です。
千尋が、良くないことだと止めようとしたにもかかわらず、「お金ならあるし、美味しいし、食べたいから」という自分本位な理由で、お店の人の許可も得ずに食べ続けます。
自分の欲を抑えることができず、何でもお金で解決しようとする非常識で、欲深い人間のありさまです。
その欲深さの罰で、「こうなっても食い続けていろ」ということで、豚になる呪いをかけられてしまったというわけです。
しかも、よりにもよって神様にお出しするものを、人間が来てはいけない八百万の神々の住む世界で食べてしまっているのですから、目も当てられないですね。
もはや、豚になっても文句のつけようがない状況にあったといえます。
千尋の両親が冷たい態度なのはなぜ?
豚にされてしまって、登場もさほど多くない千尋の両親ですが、そんな中にあっても目について気になるのが、千尋に対する態度です。
例えば、暗いトンネルで、恐怖心から千尋が母親の手にしがみつくと「くっつかないでよ、歩きにくいわ」と言い返すところがそうです。
とはいえ、その手を振り払ったりはしていないので、嫌いでそういうことをしているということではなさそうですが、我が子のわりに冷たいように写ってしまいます。
父親のほうも、川を渡る時、母親の方には手を差し伸べ手伝うのに、千尋には手を差し出すこともありません。
母親も「早くしなさい」と千尋に追い打ちをかけるだけで、父親との二人きりの時間を楽しんでいるようにさえ感じます。
ある見方では、そういった態度は、千尋に自立心を求めているため、自分のことは自分でやるように教育の一貫としてそのようにしているといいます。
また、それとは別で、坊を溺愛し過保護に育てる湯婆婆の対比として、突き放しながら温かく見守る親として描かれているともいいます。
でも、豚にされてしまうような人たちだからでしょうか、単に、大人になりきれていない親の代表として現わされているとも考えられています。
まとめ
バブル世代が親となり、共働きも当たり前に変わっていく時代の中で、「千と千尋の神隠し」は、親子のあり方を再検討する切り口を作っていました。
それと共に、親のように、欲を自制できない精神的な弱さは、ただの身勝手や傲慢だということを知り、それを子どもは乗り越えて行く強さを身につけなければいけないと知りました。
これらは、ある意味、バブル経済や、その後の現実を絡めているとも言われ、身につままされるところが多い、メッセージ性の強いものに感じるのも事実です。
「千と千尋の神隠し」には、謎解きや読み解きが多いのは、こういった背後のメッセージがリアルで、身近なこととして受け取れるからなのかもしれません。
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