2020年1月24日、[Alexandros]のドラムスの庄村聡泰さんがグループを“勇退”することが発表されました。
2019年4月から活動を休止していた庄村さんですが、やはり回復は見込めず“勇退”という形になってしまい残念です…
しかしこの”勇退”という所が、Alexandrosらしくていいですよね!
今回は、Alexandrosのドラムス・庄村聡泰さんの勇退の理由となった病気「局所性ジストニア」とはなんなのか、また勇退になってメンバーのコメントをまとめました。
庄村聡泰の病気「局所性ジストニア」とは?
庄村聡泰さんが苦しめられていた「局所性ジストニア」とは、筋肉に問題はないのに、手指などの筋肉がこわばって思うように動かせなくなる症状のことです。
局所性ジストニアは、特定の行為や動作を頻繁に繰り返す職業の人で発症しやすく、ピアニスト、バイオリニスト、歌手、漫画家、スポーツ選手等に多いそうです。
現在日本の推定患者数は2万人程度。
この病気になると、日常生活に支障が出るのはもちろん、演奏や競技など仕事が続けられなくなる人も多いといいます。
有名人では、コブクロの小渕健太郎さんが、この病気を患って高音の曲が歌えなくなり、一時音楽活動の休止に追い込まれたこともありました。
「局所性ジストニア」の治療については、内服薬、緊張を和らげて異常な運動・姿勢を改善させるボツリヌス神経毒素製剤の局所注射、脳の外科手術が行われるそうで、早めの治療で良くなることも多いということです。
庄村聡泰さんも早めに治療を行っていたのでしょうが、なかなか症状が良くならなかったのかもしれませんね。
しかし治療を行うことで症状をコントロールできるものだということなので、今後も治療に専念して回復できることを願っています。
庄村聡泰は4月から活動を休止していた
Alexandrosの庄村聡泰さんは、2019年の4月に腰痛で活動を休止、そして6月からは「局所性ジストニア」であるということを発表していました。
その際の庄村聡泰さんのコメントがこちら。
<庄村聡泰コメント>皆様へこの度はこの様なご報告をする事となってしまい、大変申し訳ありません。先日の腰の痛みとは別に、ツアー中盤から右足の動きに違和感を覚える様になってしまい、バスドラムがうまく踏めないという症状に悩まされていました。
改善の為に思い付く限りの処置を施してみましたが、なかなか症状が上向く事には繋がらない日々が続いていました。先月の終わりに病院で精密検査を受けたところ「局所性ジストニア」との診断を受け、病名の公表については悩んでおりましたが、治療にはある程度の時間が必要となってくるとの医師の診断により、自分の現状を正直に公表した上で、しばらくの間ライブ活動を休ませていただく事になりました。
先日のさいたまスーパーアリーナ公演では、自分の強い出演への希望もあり、投薬や鍼灸など、また、メンバーやスタッフ、そして何より当日を楽しみにしてくれていたファンの皆様の力を借りる形で無事にやり遂げる事が出来たのですが、残念ながら現状完治には至らず、自分の復帰を望んで下さっている皆様には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、もうしばらく、お休みを頂く事となります。
その間は、BIGMAMAのリアドがサポートドラマーとしてステージに立ってくれることになりました。
人間として、ドラマーとして、全幅の信頼を置く事が出来る彼が自分の代わりにドラムを引き受けてくれたことには感謝してもしきれません。そして、自分は引き続き病状の完治を目指し、また活動が出来る様最善を尽くして参りますので、ご理解頂けます様、宜しくお願い申し上げます。
庄村聡泰
https://www.universal-music.co.jp/alexandros/news/2019-06-19/
庄村聡泰さんの場合は右足に」局所性ジストニア」が生じていたようですね。
右足ということは、ドラムを踏んで叩く際に支障が出ていたのか…
この当時はまた戻ってくるつもりでいた庄村聡泰さん。
結果勇退となってしまい、残念ですね…
庄村聡泰勇退に対してメンバーのコメント
ドラムスの庄村聡泰さんの勇退に対する、メンバーのコメントがこちら。
■ 庄村聡泰コメント
みんなへ
この度、[Alexandros]とは別の道を歩ませて頂く事を決断致しました。
お休みを頂いてから、症状、並びにドラムと言う楽器と対峙するに充分な時間を頂戴する中に於いて、やれる限りの治療と思い付く限りの処置やリハビリ、勿論演奏も、試みておりました。
しかし、演奏面については残念ながら現在まで目覚ましい効果を実感できる事例や療法は見つかっておらず、腰の状態も含め日常生活は元気に送る事ができているのにドラムだけが上手く叩けない、と言う事実のみが残ってしまいました。
具体的に申し上げますと現在、10分弱の演奏で自分の右脚は上手く動かなくなります。
痛みは全くないのですが無意識下の震えや痺れ、痙攣や麻痺、言葉ではなかなか伝え辛いのですが時間の経過に伴って頭と脚が上手く連動できなくなり、頭で思う動きを脚は聞いてくれない。
まるで脳からの命令、通達を脚が拒否しているかの様に、上手く動かす事ができなくなってしまいます。
その様な日々を過ごす内にどうしても演奏家ではない人生についての考えを無視できなくなってしまい、また、その気持ちが日増しに大きくなってきてしまい、ひいてはこの症状も自分の一部として受け入れた上で生きていきたいと思う様になりました。
この様な考えに至った所以は、症状とドラムと、そしてそれら全てを引っくるめた今までのバンド活動、自分自身の人生そのものと言っていいのかも知れませんね。
そちらを改めて振り返ってみて、そして自分にはみんなから頂いた時間がありましたので、ゆっくりと、思い出せる一つ一つの場面と対峙してみました。
そこには悔いめいた思い、やり残した様な思い、そう言った感情が、本当にありがたい事に見つかりませんでした。
ドラムは叩けなくなってしまっているけれど、自分が人生をかけたバンド活動に一切の後悔はなく愛おしく大切な日々をみんなと共有できた、と言う事実のみが残っていました。
その時に自分はこう思ったんです。
こんなに幸せな事はない、と。そう思って以降症状についてはある程度受け入れられる様になり、音楽や映画、本や服、アニメやゲームなど、自分が元々好きだった様々なものをより一層深く愛する事ができる様になりました。
そしてそう思えた今ならば、ドラムが叩けない自分の事もいつかきっと愛する事ができる様になる筈です。今までみんなと共にした日々は、自分の誇りです。
なのでその誇りを胸に、[Alexandros]のドラマーではない自分も愛する事ができる様に、これからを生きていきたいと思っています。
復帰を心待ちにしてくれていたみんなには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
けれども今こうして前を向く気持ちを持てる様になったのは、みんなと過ごしたかけがえのない素晴らしい日々があったからこそなんです。
そして何よりその中で最も濃密な日々を共にしたのは、自分の人生に於ける師であり友でありだなんて言葉では全く足りないくらいの深く深い仲である、自分とバンドのきっかけをくれた、まーくん。
あなたに出逢えたあの日があるから、こんなに素晴らしい経験ができました。
自分を信じる大切さを教えてくれた、ひろ。
あなたの部屋のベランダで、そんな熱い話をよくしましたね
。自分に背中を預けてくれた、洋平。
あなた越しに広がる景色は、いつも本当に美しかったです。
幸せなバンド人生を、本当にありがとう。みんなのおかげです。
何らかの恩返しになる様なこれからを、歩んでいけたらと思っています。
庄村聡泰
■ ボーカル&ギター 川上洋平コメント
皆さんへサトヤス君がアレキサンドロスを勇退して、違う道を歩む運びとなりました。
とても寂しく、しかし晴々しく送り出さなきゃな、という気持ちが入り交じっています。
彼とは高校の先輩後輩の仲で、もう20年来の仲になります。
高校時代はお互い違うバンドを組んでおり、ほぼ話したことはありませんでした。
でもやはりその頃から目が離せない存在でした(いろんな意味で)。
卒業して数年後、とあるライブハウスで再会し、成長した彼のドラムを見た時に「これはヤバい」と惚れ込みました。
そこから色々あってうちに入ることになるのですが、何かとてつもなく良い予感がしたのを覚えています。
もう既にデビューは決まっており、ファンもつき始めていた中でのメンバーチェンジだったので、正直批判の声も多くありました。
事務所も心配したし、何より新しい戦いの場で我々メンバーに対してもすぐには馴染めなかったと思います。
そんな中でも彼は表情に出さず、受け止め、黙々と自分のドラムをぶつけました。
すぐに周りの期待や心配を越えていき、愛される存在に成り上がっていきました。
相当なストレスがある中で戦いに挑んでいった彼の姿は本当にカッコ良かったし、尊敬に値します。僕にはできません。
最強に頼もしい仲間が増えた、と心底喜びました。
そこから今に至るまでは割愛します。
今回、彼を襲ったものに対しては憤りを感じるし、何もできない自分にも腹が立ちます。
とても悔しいです。しかし彼の書いた文章を読んで少しだけ救われました。
改めて僕はサトヤス君の大ファンだったんだな、と思いました。
ドラマーとしてこんなに華がある人はこの世に一人としていないし、人間としてもこんなに面白くて毒を持っている奴はいません(世間には”善い人”に映っていたけど、化けの皮を剥がしてやりたいです)。
この文章を書き終えてしまったら、と思うととても寂しくなります。
が、今まで通り(もしかしたら以前にも増して)変わらず友達だし、我々のことを見守り続けてくれると思います。
そして一方で僕は違う扉を開こうとしている彼を見守ることになり、またファンになるんだと思います。最後になりますが、サトヤスを愛してくれたファンの皆さん、本当に本当にありがとうございました。
もし彼が血迷って俳優にでもなったら、一緒に映画館に馬鹿にしにいきましょう。
川上洋平
■ ベース&コーラス磯部寛之コメント
皆さまこの度、サトヤスが[Alexandros]を勇退する事になりました。とても残念だし、ショッキングなお知らせかと思います。
でも彼がこの症状になってから今日まで、彼の中では我々の誰もが想像も出来ないくらいの葛藤やジレンマや自問自答があったと思います。
そこを経ての今回の決断を俺は敬意を持って受け入れて、なるべく晴れた気持ちで送り出すのが良いのかなと考えています。
サトヤスの演奏を初めて観たのは彼が前にやってたバンドで叩いてた頃ですが、半ばバンドを食うくらいの存在感を放っていて圧倒されたのを覚えています。
縁あって、そんな彼とリズム隊を組んで歩んできたこの10年。まさにかけがえの無い時間だったなぁと今、感じています。光栄でした。
かなり手数の多い独特なサトヤスフレーズは勿論、シンプルな8ビートを叩いていても彼にしか無いグルーヴ感の持ち主で、華やかで、そしてとても繊細で。
考え方や物事の捉え方も俺には無い角度が多くて羨ましくもあり。ベーシストとして、人として、とても成長させてもらったと思っています。彼も言っておりますが、ドラムの演奏は難しくとも生活に問題があるわけではない模様ですので、そこは趣味とセンスの塊のサトヤスですから、また違う形で自分を含む皆んなを楽しませてくれる日が来るかもしれないなと楽観的な事すら考えたりします。
最後になりますが、サトヤス10年間本当にありがとう。色々話したことや演奏を共にした事は今の自分の大切な一部です。
今後もお互いまだまだ先があるので、楽しみつつ頑張っていきましょ。
磯部寛之
■ ギター 白井眞輝コメント
この度庄村が[Alexandros]から勇退することとなりました。彼との付き合いは高校の軽音楽同好会の時から始まっていて、おれは一個上の先輩でした。
入部当初からすごいドラマーが入ってきたなと、お世辞抜きにすぐにでもその道で食べていけるんじゃないかと思うくらいのドラムのスキルを持ったやつでした。
文化祭でミッシェルとブランキーとルナシーを一緒にやった記憶があります。
正直今の派手な姿の彼より高校時代の短髪に学ラン姿の彼の方が印象に残ってますね。
そんな高校の先輩後輩だったおれらが何の因果か数年後同じバンドメイトになり、同じ屋根の下に暮らし、日本中を周り、世界中を周り、ニューヨークに住み、何万人の前でライブをする事になるなんて高校の時には思いもしませんでした。
いつも何か大きいイベントが来る度に「こいつとこんな事を一緒にやる日が来るなんて、人生ってわからんな」と面白がってましたね。
そしてみんながサトヤスと呼ぶ中最後までおれだけ庄村と呼び続けていました。高校の頃の呼び方から変えられなかったんですよね。
おれも後から入ったメンバーだけども彼はデビュー後、しかも年下として入ってきて色々プレッシャーに感じてた事もあったかと思います。
あまりフォローしてやれなかったかもだけどいつもちょっと心配して見てました。
それでもいつも圧倒的なパフォーマンスでオーディエンスやスタッフ、そしてメンバーすらも魅了する彼は本物のエンターテイナーだなと思って見ておりました。
今回彼の身に起きた事は誰のせいでもなくあまり適切な表現ではないかもしれませんが仕方のない事だと思います。
この先彼がどの道に進むにしろ彼が幸せに生きられるのなら全力で応援したいと思います。
多趣味で多くの才能を持ってる彼ならすぐに新しい道を見つけ出せると思いますが。
最後に、10年間一緒にやれて楽しかったです、ありがとう。
また道の途中で会う事があったらよろしくね
白井眞輝
コメントでは庄村聡泰さんが10分程度で右足が動かなくなると語っています。
しかし病気も含めて自分の一部と考えられる庄村聡泰さんがすごいと感じました。
ここまでの思いになるまでには、たくさんの葛藤があったのではないでしょうか。
メンバーのコメントも胸打たれますね!
まとめ
[Alexandros]のドラムス・庄村聡泰さんの勇退についてまとめました。
局所性ジストニアという病気で、脱退となった庄村聡泰さん。
とても残念ではありますが、前向きな庄村聡泰さんの言葉が素敵ですね!
治療に専念しつつ、これかも違うステージでの活躍を応援していきたいと思います。
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