「耳をすませば」は、中学生という青春ど真ん中時代の雫と聖司の恋模様を描くラブストーリーです。
そしてそれと共に、夢を追う二人に降ってくる疑問や迷いをリアルに感じさせてもくれる物語です。
そんなこのお話はとてもキラキラしていて充実していて、憧れるところもあるし応援したいところもたくさんありますよね。
だからこそこの中学生時代を終えた後も、雫や聖司には恋も夢も頑張って欲しいですし、それぞれのハッピーエンドを想像したことだと思います。
そんな思いがあるからこそなのか、初夜なんていう色めき立つ噂もチラホラと。
どういうことか真意を突き詰めつつ監督の見解も合わせて読み解くと、視聴者の現実的すぎる見解も見えてきました。
「耳をすませば」のその後の宮崎駿の見解は?
宮崎駿監督が思う雫や聖司の「その後」は、「ここから先は触れないでおこう」とはっきり線引きして作った物語だと言います。
つまり、宮崎監督としては「その後」についてこれまでも書いていないし、これから書くことも、ましてやそれを考えることもないということなのだそうです。
その理由は、この物語込められたメッセージにあると言います。
宮崎監督は、「この物語にはおじさん世代の青春の遺憾を反映した」と語っており、若い人達へのある種の挑発のようなものがあると説明しています。
理想的な男女の出会いでありながら現実味があり、そのリアリティさから生きることの素晴らしさを唄いあげるという物語にしました。
そうすることで、「自分も雫や聖司のようになりたかったが、君は実際になってみないか?」と直球のあおりを表現したのです。
これは、後先ではない今をどう生きるかという事をテーマとしたということを意味しています。
そして、加えて「コンクリートロードの中で暮らしている人間たちがどのように生きていくかというときに、クラッシックな生き方でいいんだという指摘とエールを送りたかった」とも話しています。
これが意味したのは、新しいことや特別なことをしろとかという説教ではありません。
ただ真剣に夢を追い、一生懸命に好きな人を想うという昔からある根本的な生き方は、素敵でキラキラしていることを伝えていたのです。
コンクリートに囲まれた現代であってもキラキラして生きていこうぜという、宮崎監督なりの若者たちへの応援歌となっていました。
だからこそ、雫や聖司の「その後」を書くことも考えることもないのです。
ただし、そうやってエールを受けたら、そしてキラキラした生き方をし続けることができたらという「その後」の答えは自分の中に見出せるはずです。
それが、ある意味の雫や聖司の理想の「その後」であって、自分もなりたかったし若者になって欲しい「その後」であるのです。
「耳をすませば」のその後の世間の予想は?
宮崎監督の意向やメッセージとは別に、世間が考える雫や聖司の「その後」は現実的なものでした。
理想は二人とも夢を叶えてそして結婚もしていてほしいというものですが、現実はそう簡単にはいかないというような見解が多いようです。
それは、ジブリ特有のリアル感のある描写や表現によって影響され、夢物語だけのハッピーエンドだけではないという思いを与えているのではないでしょうか。
どこか、現実の友達や親戚の話でも聞いているかのようなリアリティを持つのかもしれませんね。
ですから、自分の経験や見聞きした知識で想像した「その後」は、現実的にそんなに甘くないという結論になるようです。
それぞれの長い道の中で新しい出会いがあったというものや、聖司がイタリア修業で新しい恋をしそうというもの。
もっと現実的な部分で、二人ともサラリーマンではないので結婚となると金銭的に難しそうといった見解もあるようです。
真剣に考えれば、これらの見解はすごく頷けてしまいます。
とはいえ、やはりここは物語として受け止めて、理想通りの結末であってほしいという期待を含んだ見解もあります。
聖司の一途さは並々ならないので、決意は強いから揺るがないとするものや、根本的に原作が「リボン」マンガなのでハッピーエンドもあり得るとする見解などです。
しかも、こう期待するのには裏付けがあるんです。
どこにも二人の「その後」が描かれていない中、原作の続編となる「幸せな時間」の言葉に希望を感じるのです。
それは雫の言葉で、「もし聖司がどこか遠くへ行くって言っても、たとえそうなったとしても…聖司と私が同じ想いなら…きっと道はどこかでつながっていると思っている。」とあります。
どう捉えるかはそれぞれかもしれませんが、運命の二人ならきっといつかまたキラキラ輝く時を一緒に過ごせるように思えます。
「耳をすませば」のその後に「初夜」と出てくる理由は?
上手くいくもいかないも色々な憶測が出回るのは、きっとどこにも二人の「その後」が描かれていないからですね。
予想の域を脱しない中、二人がうまくいって結婚して初夜を迎えたという想定が生まれるのも自然な流れです。
なので、そういう噂もネット上では、まことしやかに囁かれているのです。
あの時確かに聖司は雫を一途に想っていたし、雫もいつの間にか憧れや尊敬も含めた好きという想いを抱いていました。
こんな二人の強い想いを感じるからこそ、そんな憶測や噂も成り立つのかもしれませんね。
それに、雫がカントリーロードを歌う場面で聖司がバイオリンを弾きますが、その時のふたりの絡みが色っぽいと感じるというような意見も多くあって。
二人が急接近したきっかけの場面でもあったことも加わって、そういう予想ができあがっていったのではないでしょうか。
それとは別に、雫と聖司の10年後を描くラブストーリーが実写映画化するという話もあるようで。
そんなことも、この噂の信憑性が増して広く出回った理由かもしれません。
まとめ
「耳をすませば」のお話し自体は、二人のラブストーリーだけの物語ではありません。
ここには、これからという若者たちへのエールやメッセージがたくさん詰まっているのです。
でも、あまりにも素敵な二人でキュンキュンさせられてしまうので、どうしてもその関係性の展開や今後などに関心が集まってしまいます。
そんな中、世間が思う二人の「その後」は、ジブリ特有のリアル感の演出もあってか、意外にも現実的理由からうまくいかないという意見が多くあります。
ただ、とはいえそこはハッピーエンドを期待する声もあるわけで、結婚して初夜を迎えたというところまで噂は進んでいるようです。
雫と聖司の10年後の実写映画の話があることが、このハッピーエンドの噂に拍車をかけた理由かもしれません。
とはいえ、雫の声優さんが、当時、「中学生は未熟な年齢だから、この先何があるか分からない。二人はすぐに別れるだろう。」とコメントしたことは有名な話です。
ふとこの言葉を思い出すと、また現実的な展開に引き戻されて、やっぱりダメかもという予想がよぎってしまうようです。
ですが、実際のところどれも予想の域は出ません。
ただただ「耳をすませば」の余韻を楽しみつつ、キラキラした未来になるための答えを自分の中に見出していくだけですね。
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