数々の素晴らしい映画を手掛け、
日本を代表する脚本家・映画監督として
活躍している三谷幸喜さん。
個性的な面白い性格も素敵ですよね!
そんな三谷さんが育った実家や
そこで過ごした幼少期とは
どんなものだったのでしょうか。
今回は三谷幸喜さんの実家や
幼少期についてまとめてみました。
三谷幸喜の実家はどこにある?
三谷幸喜さんの実家は
東京都世田谷区にあるそうです。
わりと裕福な家庭だったようなので、
良いところに住んでいたのかもしれませんね!
世田谷区と言っても広いので
範囲を絞ってみると、
小学校や中学校の学区から
考えられる範囲としては、
世田谷区給田や南烏山の付近だと
思われます。
ということは三谷幸喜さんの実家は、
世田谷区でも南西部、
調布市や三鷹市辺りではないかと
考えられます!
三谷幸喜の実家で一緒に暮らしていた家族は?
三谷幸喜さんは、父・母と3人暮らしで
一人っ子だったようです。
そしてとても可愛がられて育ったのだとか。
幸喜さんの父親は福岡市の中洲でクラブを数店経営していて、
あまり家にはいなかったようです。
しかし家にいる時は、父親が
電話越しに会社にいる部下を
怒っている姿が印象に残っているそうです…w
父親の記憶の8割が怒っている姿とも話しています。
それが反面教師になって、
三谷幸喜さんは人を怒ることは
したくないそうですw
仕事には厳しいお父さんだったのかもしれませんね。
しかし家族のために単身で福岡で働くお父さん、
立派な方だなと思います。
母・直江さんは九州出身の女性。
三谷幸喜さんが2歳の頃から
寝る前はお話の時間を作っていて、
なんと絵本ではなくお母さんの作った
お話を聞かせてくれていたんだとか。
しかも幸喜さんが大きくなるにつれて、
創作のお話をする役目はお母さんではなく
幸喜さんになったのだそうです。
お母さんの愛情を感じますし、
今の三谷幸喜さんの原点を作ったのも
これかもしれないな
とも思ってしまいますよね!
またお母さんは幸喜さんが高校生の時にはフィリピンパブ、
大学生の時には喫茶店を経営していたそうで、
とても働き者でアクティブな方だったんでしょうね。
そのようにして育てられた幸喜さんですが、
10歳の頃実の父親が亡くなってしまいます。
幸喜さんをとても愛情深く育てていただけに、
幸喜さんも悲しみは言い表せられないほど
だったのではないでしょうか。
こういった事情もあって、
お母さんも一生懸命
働いていたのかもしれませんね。
そんな中幸喜さんが大学時代に
母親が再婚しました。
三谷幸喜さんも大学生なら立派な大人でしょうし、
それなりに受け入れられたのではないでしょうか。
三谷幸喜の通っていた学校は?
三谷幸喜さんが通っていた学校がこちら。
- 小学校…世田谷区立給田小学校
- 中学校…世田谷区立烏山中学校
- 高校…世田谷学園高等学校
- 大学…日本大学藝術学部演劇学科
小学校中学校と公立の学校へ、
高校も公立の男子校に進学しています。
ちなみに世田谷学園高等学校は偏差値58と
中々頭の良い学校です。
大学は私立の大学進学し、
三谷幸喜さんらしい演劇学科に通われていました。
なんと幸喜さん、小学生時代には『とんねるず』の
木梨憲武さんと同じサッカークラブに
所属していたんだとか。
そこでは木梨さんは2軍で
幸喜さんは11軍だったそうですがw
当時幸喜さんにとって木梨憲武さんは
サッカーが上手くて雲の上の人だったと語っています。
同じサッカークラブに所属していても、
あまり関わりはなかったのかもしれませんね。
そして日本大学芸術学部では、
後輩に爆笑問題の太田光さんがいたそうです。
太田さん曰く、三谷幸喜さんは
大学ではすごい人気者で
みんなのヒーローのような存在で、
太田さん自身は相当嫉妬していたそうです。
未だに三谷幸喜さんにコンプレックスを
抱えているのだそうです。
三谷幸喜さんは大学在学中に
劇団『東京サンシャインボーイズ』を立ち上げ、
脚本家・演出家・役者として
すでに活躍していました。
演劇や脚本が根っから好きで
実力もあったのでしょうね。
三谷幸喜の幼少期は?
三谷幸喜さんの幼少期は、
脚本を書いたりして人を笑わせたり
喜ばせたりすることが好きな人気者だったようです。
三谷幸喜さんが初めて脚本に触れたのが小学生時代。
同級生に俳優の父親を持つ友達がいて、
その友達を通じ手に入れたドラマの脚本を見て
書き方を勉強したのだそうです。
そして小学4年の時、クリスマスお楽しみ会で
『雪男現る』という脚本を執筆。
これが、三谷さんの初脚本でした。
小学6年生の時には時代劇に影響を受け、
卒業謝恩会で時代劇『国定忠治物語』を制作し、
発表したそうです。
ちなみに小学校時代には母親と2週間
スイス旅行へ行ったり、
ヴァイオリンを習っていたんだとか!
やはり結構なおぼっちゃまだったようですw
中学生のときには自ら演劇部を立ちあげ、
中1で『そして誰もいなくなりかけた』
という作品を書いて上演したんだそうです。
出典:https://tetsutylor.hatenablog.com/entry/2014/09/02/151944
この頃から8ミリカメラにも目覚め、
映画の制作にも手を広げます。
高校時代には後に『古畑任三郎』の原点となる
作品ミステリー短編映画をいくつも製作。
前にも書きましたが、
大学在学中の1983年には
劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成し、
「一橋壮太朗」という芸名で
自ら役者も務めてていました。
どんな演技をしていたのか、
見てみたいですよね!
この頃テレビ朝日の『ウソップランド』という
深夜番組で視聴者からの映像作品を
募集する「チャレンジビデオコーナー」へ、
制作した作品を投稿し採用され、
放送されたこともあったんだとか!
三谷幸喜は現在どこに住んでいるの?
三谷幸喜さんが現在住んでいる自宅も
実家と同じ世田谷区だそうです。
なんでも三谷幸喜さんの
自宅の場所は『世田谷区の経堂』
という噂があるようですが、
真実かどうかは分かりません。
三谷幸喜さんは自宅を新築で建てていて、
その際風水にこだわったのだとか…
何だか意外ですよね!
色々とこだわりのあるお家に
なっている気がします。
三谷幸喜は世田谷育ちの坊っちゃまだった
いかがでしたか。
脚本家・監督等で活躍している
三谷幸喜さんについて、
実家の場所や幼少期をまとめました。
- 三谷幸喜の実家は東京都世田谷区の
三鷹市や調布市辺りではないかと思われる。 - 三谷幸喜は父母と3人暮らしの一人っ子で、
裕福な家庭で愛情いっぱいに育った。 - 父親は福岡で経営者、母親もパブや
喫茶店を経営していた。 - 小学生の時に初めて脚本にふれ、
それから自分で脚本を書いて
発表したりしていた。 - 現在も世田谷区に家を建て住んでいる。
三谷幸喜さんの育った環境が、
現在の三谷幸喜さんを作った
ような気もしますね。
愛情いっぱいで育った三谷幸喜さんだからこそ、
現在も愛されているのかもしれません。
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