イケメンでダンディでユーモラスな沢村一樹さんですが、今やドラマにバラエティにとテレビで見ない日はないほど引っ張りだこですね。
笑顔が印象的で明るく穏やかな雰囲気を醸し出していますが、子どもの頃は内向的で一人で遊んでいることが多かったようです。
鹿児島生まれの九州男児で、本名が野村耕蔵さん。
父・母と4歳年下の妹の4人家族で、風呂なしのボロいアパートに暮らしていたという貧乏な幼少期だったようですが。
そんな少年が現在のような売れっ子になるまでに、どんな経験を積み重ねきたのか気になりますよね。
大まかな年代に分けて、その時の沢村一樹さんのエピソードや画像をまとめつつ振り返ってみることにしました。
沢村一樹の若い頃の画像とエピソード【幼少期】
沢村さんの幼少期は、家族との関係に変化があった頃で、良くも悪くもその影響を大きく受ける時期です。
その先駆けとなったのは、沢村さんのお父さんです。
女性問題が絶えなかったばかりか、人の良さにつけこまれ借金の保証人になり、借金を肩代わりすることになります。
そしてそのことが引き金となって、沢村さんが12歳のときにお父さんは蒸発してしまいます。
その後正式にご両親は離婚し、沢村さんや妹さんはお母さんが引き取り育てることになります。
そんなお母さんは、お父さんの借金の返済も請負ったので昼は化粧品販売、夜はスナックと働き詰めだったようです。
家も相変わらず貧乏で、聞いているだけでも暗く沈んでしまいそうな環境だったことが伝わってきます。
でも一番苦労しているはずのお母さんが、そんなことをちっとも気にしない明るい人のようで。
「貧しくても明るい家族」をモットーに笑顔をたやさず、年一回の洋食屋へのお出かけを楽しみに暮らしていたといいます。
内向的だった少年が、ユーモアがあって笑顔の素敵な男性になったのは、そんなお母さんの明るさの影響が大きかったように思えます。
さらに、映画好きだった沢村さんに芸能界入りを一番最初にお薦めしたのがお母さんだったようです。
まだ沢村さんも小学生の頃だったので、どこまで本気で言ったのかは別ですが、少なからず影響はあったということですね。
↓こちらの記事に沢村一樹さんの幼少期の苦労生活について詳しくまとめています。
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沢村一樹の若い頃の画像とエピソード【学生時代】
中学生時代の沢村一樹さん
高校時代の沢村一樹さん
沢村さんの学生時代は、人生の大きな分岐点だったと言えます。
まず、仕事面において。
これまで母親の頑張りを見てきた沢村さんは、中学生の頃には「給料をもらう仕事では家族を養えない」という考えを持っていたようです。
そして、小学生のころの母親のアドバイスも心に響いていたこともあったのか、芸能界入りを計画し始めたといいます。
同じくして、部活動では中学・高校とバレーボールで活躍しており、大手実業団からのオファーもあったようです。
遥かに安定的な話ではあったと思いますが、でも、芸能界入りの決断が揺らぐことはなかったのですね。
もうひとつの分岐点として、父親との関係においてです。
ここまでにも沢村さん的には積もった思いがあったと思うのですが、決定的な事件が起こります。
父親の胸ぐらを掴むほどのできごとでしたが、負けたと感じた沢村さんはここから父親とは一切の連絡を取らなくなったようです。
そしてそれはお父さんが亡くなられたときも変わることはなく、葬儀にも参列しなかったといいます。
のちに沢村さんは、自分に家族ができて父親の気持ちが少し理解できたと、後悔を取り返すようにお墓を建て命日のお参りも欠かさないようです。
これらのような、後々の沢村さんの行動を決定づけるようなできごとがあったのが、ちょうどこの学生時代だったのです。
沢村一樹の若い頃の画像とエピソード【モデル時代】
モデル時代の沢村さんは、公私共に変化のときというのがぴったりです。
20歳まで地元鹿児島にいた沢村さんですが、バイトで貯めた十数万円を握りしめてようやく上京を果たします。
この住む状況を変えたということも、沢村さんの変化の一つであり歯車の回り始めとなります。
やっと果たした上京でしたが、当てにしていた友人とも連絡が取れず公園で野宿します。
最初から波乱の幕開けとなりましたが、それで諦めることはなかった沢村さん。
ライブハウスでバイトをしつつ、芸能界入りのチャンスを待つことにします。
すると、そこのお客さんから、モデル事務所の紹介話が転がり込みます。
そのチャンスをものにした沢村さんは、25歳で雑誌「MEN’S CLUB」の専属モデルとして活躍し始めます。
ちょっと前までは田舎にいた若者が、今では華やかなメディアの世界で、一年間1人で表紙モデルを担当するまでに変化したというわけです。
そんな沢村さんが、プライベートの部分においても変化が起こるのはちょうどこの頃です。
趣味でハマっていたボーリングの大会で、現在の奥さまである余西操さんと出会います。
余西さんのボーリングの試合に来ましたという飾り気のないスタイル、負けず嫌いの根性の良さに惹かれるものがあったようです。
このことがきっかけでお付き合いをするようになったお二人ですが、個人的な部分ににおいての大きな変化の波が来たということです。
↓こちらに沢村一樹さんと奥さんについて、詳しくまとめてあります!
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沢村一樹の若い頃の画像とエピソード【俳優デビュー時代】
今の沢村さんの原点である俳優デビュー時代というのは、沢村さんが覚悟を決めるという言葉がぴったりの時期です。
もともとは、俳優を目指して上京してきた沢村さん。
チャンスを掴むためスタートさせたモデルでの活動が、いつしかメインのお仕事となっていました。
きっとそのままでもモデルとしての地位を築けたのでしょうが、自分の中で何かがわだかまっていたようなんです。
このままモデルで頑張っていていいものか、俳優の夢を追わずにモデルだけで終わってしまっていいのかという事です。
その答えは、現在を見れば一目瞭然ですが、ひとつの決断をします。
モデルの仕事に区切りをつけると、俳優「沢村一樹」としてスタートを切り直します。
1996年に日テレの「松田のドラマ」で主演デビューすると、同年「続・星の金貨」で連ドラへのデビューも果たします。
2000年に、TBSの「浅見光彦シリーズ」を前任の辰巳琢郎さんから引き継ぐと、評価も高く一躍名前の知れる俳優さんへと成長します。
そこからは役の枠も広がりショムニシリーズをかわきりとして、ドクターズ〜最強の名医〜など様々なドラマへの出演を果たしていきます。
さらに、プライベートにおいても、あのボーリングの一件から、4年間お付き合いしてきた余西さんとの結婚も決意します。
さらに、同年の2000年にはご長男も誕生して、人生の新たなステージにも立つこととなったのです。
公私ともに、人生においての良い意味での覚悟を決めるときだったのがわかりますね。
まとめ
沢村さんが現在に至るまでを、大まかな年代に分けて振り返ってみました。
風呂なしアパートの幼少期からスタートした道のりは、決して平坦ではなく山あり谷ありのなかなかの道のりでしたね。
まず幼少期といえば、家族関係における変化と影響がテーマの時期となりました。
父親との関係や母親が見せる背中など、沢村さんの生涯ベースで根っことなる部分ができたようです。
学生時代には今後を決定する分岐点があり、仕事としては芸能界の道で稼ぐということを選択し、私的な部分としては父親とは距離をおくことを選択しました。
モデル時代になると変化のときが訪れ、上京する前とは打って変わった華やかな世界に身を置いています。
奥さまと出逢われたのもこの頃で、俳優デビュー時代になってから結婚という形で身を結びます。
まさに覚悟を決めるときとなったこの俳優デビュー時期には、仕事面では俳優として進むべくどんどんドラマに挑戦していくようになりました。
一つ一つ、自分で選んで芯を持って進んできた道のりが、今、大きく広い道となって沢村さんの前に広がっているのかもしれませんね。
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