「となりのトトロ」で描かれている風景はどこか懐かしく、野山を駆けずりまわった子どもの頃を思い出してノスタルジックな気持ちになります。
そんな中、思わず目を引いてしまうのが、昭和時代のアイテムの数々です。
木造の小学校やコンクリートを重石にしたバス停表示。水汲みのポンプにカンタが立ちこぎするチャリンコ、木製の街灯などなど挙げればキリがないほどあります。
でも、実際の時代設定は昭和のいつになるのでしょうか。
戦前戦後では異なるでしょうし、高度成長期の前半後半でも違うことでしょう。
その辺りも含め、トトロの世界の背景にスポットを当ててみました。
となりのトトロの時代は昭和30年代?
「となりのトトロ」の時代設定としてよく言われているのは、昭和30年前半説です。
というのも、劇中にちょこちょこ出てくる日付に注目が集まったからです。
一番目に止まったのは、カレンダー。
そこに描かれた曜日から年代を割り出してみると、書斎のカレンダーは昭和30年5月のもので、病室のカレンダーは昭和33年の7月と8月と分かります。
しかも、草壁家に届いた電報では、消印をよく見ると昭和32年8月11日となっているのです。
ここまではっきり描かれていれば、昭和30年代前半を裏付ける証がしっかりしているのでその時代設定に違いないとなりますよね。
けれども、そういかないのがジブリの深掘りの面白いところで、それに意を唱える説が浮上しているのです。
https://ghibli.jpn.org/trivia/totoro-era/
電報はともかく、病室のカレンダーの曜日配列は、実は昭和27年でも同じになるというのです。
更に、違う日の病室のカレンダーが昭和28年の6月の配列だとなったために、本当は昭和30年代にまだ入らない、27、8年代説が信憑性を増してきたわけです。
しかも、サツキやメイの年齢から誕生年を計算し、戦争の時期と兼ね合わせてみたことでより現実味が出てきました。
昭和27、8年の時代設定と仮定すると、戦争が始まる前にサツキが生まれ、その後昭和20年に終戦を迎え、しばらく後にメイが生まれたという自然な流れができあがるのです。
ところが、設定が30年代に入ってしまうと、サツキを戦争中に身篭ったという計算になり、男性はみな徴兵されていたその時代の状況とそぐわなくなってしまうのです。
そうなってくると、時代設定は昭和27、8年代という説に傾くのですが、電報や書斎のカレンダーとの矛盾を考えると、再び悩んでしまいます。
となりのトトロが昭和30年代設定を否定した宮崎駿
そんな悩みを一蹴したのが、宮崎駿監督の言葉です。
ここでの時代設定を質問された宮崎駿監督は、「テレビのなかった時代」だと答えたのです。
テレビは昭和30年に入ってから出回り始めたものなので、ばっさりあっさりとトトロの時代設定は昭和30年代ではないと断言したのです。
逆に、急浮上していきなり肯定されてしまったのは昭和27、8年代説ですが、他ならぬ宮崎駿監督本人の言葉ですから間違いありません。
では、電報や書斎カレンダーとの矛盾は何だろうと思いますよね。
もともとトトロの構想を練っている初期の段階では、ざっくりと昭和30年代を想定していたようで、宮崎駿監督が描いたイメージボードにもそれが記されています。
このことで、昭和30年代説は大きく裏付けされていたわけですが。
ところが、後に「テレビのなかった時代」に設定が変更されたことで、細部における年が昭和30年代のまま残ってしまったようなのです。
なんだそういうことかと妙に納得するのですが。
とはいえ、宮崎駿監督が「テレビのなかった時代」にこだわった理由までは、明確なものは見つけられませんでした。
けれど、テレビやネットやとさまざまな外部の影響を受ける現代の私たちにとって、そういうものが一切なかった時代の純朴さを思い出させてくれる作品となっているのは間違いありません。
となりのトトロの舞台となった場所は所沢⁉︎
そんな時代設定のなかにあっても、私たちがより身近に感じられた理由のひとつには、舞台となった場所のことが関係しているのではないでしょうか。
というのもその場所は埼玉県の所沢というところなのですが、そこは宮崎駿監督が長年住んでいる愛着のある土地だからです。
例えば、監督にトトロの住む森をイメージさせた狭山丘陵や、お母さんの病院をイメージさせた八国山緑地にある病院。
https://suumo.jp/journal/2012/07/13/24483/
もっと細かい部分なら、学校や田んぼ、水汲みポンプや木製電信柱などなど。
監督自身が実際に目にして馴染んでいた風景や空気感だから、これらの場所も架空の場所というよりも、昔どっかにあったような、懐かしいく身近な場所を彷彿とさせるのではと思えるのです。
もし、すべてが架空の場所であったなら、そしてもし、監督と縁もゆかりもない土地であったなら、こんな親近感は湧かなかったかもしれません。
https://www.pinterest.com.au/pin/344736546467744064/
まとめ
宮崎駿監督が、この時代設定で何を伝えたかったのか、そして愛着のある土地や風景で何を描きたかったのか考えてみました。
その答えは、「となりのトトロ」と「火垂るの墓」を繋ぐ共通のキャッチコピーに全て含まれていました。
「忘れ物を届けに来ました」です。
日本ならではの風景や匂い、四季に文化、そして日本人だからこその習慣や文化、考え方や表現といったものを、今改めて伝えようとしていたのではと感じます。
近代化や開発は人間が知能を持った以上、豊かさや便利さを追求するのには必要なことです。
でも、もともとあった素敵なものや温かいものは決して過去のものではなく、昔も今もこれからも持ち続けなくちゃいけないんだと伝えているような気がします。
そしてそれが何となく伝わっているから、トトロを見るとほっこりしてノスタルジックな気持ちになるのかもしれませんね。
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