新海誠監督の作品で2017年8月18日に劇場公開された『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』
岩井俊二監督の名作ドラマを原作に、日本を代表するクリエイターが集結した話題となった映画です。
そんな『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』ですが、実は評価を見るとあまり良くないものも多く…
その理由の一つは意味のわからない終わり方にあるようです。
典道が新学期にいない理由は何なのか…
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の結末はハッピーエンドなのかどうかについてを考察します!
夏休み明けの登校日に典道がいなかった理由は?
夏休み明けの登校日に、学校になずながいないのは転校したからと考えるのが普通です。
ではなぜ典道もいなかったのか。
その点に関しては、このような考察がなされており納得するものがあったのでご紹介します!
典道は転校するなずなの見送りに行ったという考察です。
確かに先生の出血を確認するときに「なずな」は呼ばれませんが。、典道は呼ばれています。
この点から典道は学校に籍があることは確かです。
そして祐介の不機嫌そうな顔を察するに、祐介は典道の居場所を知っているようにも伺えます。
不機嫌そうな顔という点から、なずなと典道は上手くいったのではないかと推測することもできます。
こういった点を踏まえると、「典道はなずなの引っ越しを見送りに行った」と考えるのがしっくり来るような気もしますね!
他にも典道がどこにいったのか様々な推測の声!
私個人的には上のような考察がしっくりきますが、他にも様々な考察の声があったので、ご紹介します!
教室は典道のifの世界だった
この考え方だと、最後の世界もまだパラレルワールドの中であるということですね。
そしてまだifの世界観は続いているよというメッセージが典道のいないことが伏線となって示されているということでしょうか。
なんだか想像力がより膨らむ世界観で素敵ですよね!
典道となずなは駆け落ちしている
そもそもなずなは引っ越し前に駆け落ちをしようとしていましたし、最終的に現実世界に戻った浸りが駆け落ちしていてもおかしくはないですよね!
典道は海へ浸りに行っている
なずなとの思い出の場所である海へ浸りにいっているという見方もありました。
すでになずなは引っ越してしまったことを前提に、典道はなずなとの思い出を思い返し物思いにふけりにいったのかもしれませんね。
典道となずなは現実に戻ってこれたのか?
そもそももしも玉を使って、パラレルワールドのような世界にいっていた二人ですが、最終的に現実世界に戻ってこれていたのでしょうか。
結論から言うと、二人は現実世界に戻ってきています。
花火を打ち上げるシーンで、もしも球が破壊されます。
そしてもしも球が破壊された後の花火は、それ以前のものと比較すると普通に戻っています。
この時点でなずなと典道は現実世界に戻ってきていると言えるでしょう。
もしも球が壊れたことが、二人を現実世界に戻す方法になっていたんですね!
「打ち上げ花火下から見るか横から見るか」の結論は人それぞれ
映画「打ち上げ花火下から見るか横から見るか」の結末について考察しました。
様々な考察がありましたが新学期の登校日に典道がいないのは、「なずなを見送りに行っているから」という結論が私的には一番しっくり来ました。
しかし他にも「二人だけの世界にいるから」「駆け落ちしているから」等いろんな考察があり、最終的な結論としては、人それぞれの捉え方で良いのではないか、新海誠監督はそこを狙ってあのような終わり方にしたのではないかということです。
様々な憶測が生まれることでモヤモヤする一もいるでしょうが、同時にそこに面白さを感じる人もいると思います。
とはいえ、ぜひともなずなと典道にはくっついてほしいですねw
ハッピーエンドであることを願っています!!
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